あなたはもう幸せなのに/守護霊様とおしゃべり!

アクセスカウンタ

zoom RSS 幸せになるその方法7

<<   作成日時 : 2008/09/03 16:40   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 瞑想を習慣にしている方は増えていると思います。これからはそのような目覚めた人が多くなっていくことでしょう。しかし私はダメでした。病母と暮らしているので、家の中で長く一人きりになることが難しい、ということがあります。特に夜などは、いつ「具合が悪い」と言ってくるかと思うと落ち着きません。
 母をケアホームに一時預かってもらって講演旅行に出ると、夜はホテルに一人きりになりますが、拙宅のように「悪いもの」が入って来ない工夫をしているわけではない所で意識をカラッポにすることは、どうも変な憑依をされそうな気がして恐いうえ、羽田や成田から遠いため夜明け前に起きて飛行機などに乗り、大勢の人々の前で長々と話をして(ありがたいことにその後に色々ごちそうしてもらって歓談することもあって)帰り着くと、心身ともにかなり疲れているので、一度もやったことがなかったのです。
 けれどもこれらが言い訳であることは、自分でもわかっています。別に神棚や御札がなくとも、本人の信仰さえ完きものであれば、悪霊のとりつくすきはないものです。疲れているのであればサッサと寝て、朝日の中で崇高な瞑想をすればよいのです。結局私は、これ以上やることを増やすのが億劫だっただけなのでした。
 そんなグータラな私は、『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』(エックハルト・トール著、あさりみちこ訳、徳間書店)と出合ったことで、自分の道を見つけたと思いました。
 ここで言う「さとり」とは心の平安のことで、自分の内なる「大いなる存在」(!)につながれば、その心の状態になるというのです。そしてそのためには「今、ここに生きる」ようにすればよいという、確かにシンプルなものでした。瞑想もよいものだが、今ここに生きるためにいちいち瞑想しなくてよろしい、というような内容は(少なくとも私にはそう読めました)、私にはうってつけでした。私は早速「今ここ」を実践してみました。最初のうちは、自分がそれをできているかどうかよくわかりませんでした。が、三日もするとコツをつかむことができたのです。しかし「今ここ」を持続させること、つまりそれこそ「内なる魂とつながりっぱなし」という理想的状態なのですが、私にとっては容易なことではありません。フッ、フッ、とつながったり、珍しくも数分くらいつながることはできるのですけれど、それを日常のあり方にしておくことは、至難の業なのです。
 では「今、ここに生きる」とはどういうことかと申しますと、先述の本やその後に出合った、書き方は違っても同主旨である多くの本を私なりに解釈してみたところ、「一秒ずつ生きる」と言ってしまってよいのではないかと思います。「何にでも、集中できる時間は人間は、もって八分」とよく聞きます。ですが「続けて八分」ではなく「一秒ずつ」集中したとしたら、もう少し長くもつかもしれません。
 とにかく一秒ずつ生きるのです。その一秒に集中して生きるのです。何をしている時も、何もしていない時も、全身全霊で生きるのです。くたびれたらちょっと休んで、また一秒ずつ。過去の失敗をクヨクヨ思い出すことなく、明日の忙しいスケジュールのことも将来への不安についても、思いをめぐらす暇がありません、一秒しかないのですから。とは言ってももちろん一秒ずつ数えて生きることを実際にしなくてもよいのです、そんなことをしたら一生を数える行為だけで過ごすことになってしまいます。一秒ずつ生きるとは、その時その場ですべきことを、集中して、かつ無心に行うということです。
 あなたは今まで何十回何百回と、そのような時をもったことがあるはずです。花や雲、夕焼や月、美しい風景や美術品を眺めて陶然としてしまった時。仕事に夢中になったり読書に没頭したりして、自分というものを忘れていた時。あるいはもっと卑近な例では、疲れて帰宅するなりベッドに倒れこんで、しばらくボーッと何も考えない時。
 思い出してみて下さい、その時あなたは不幸でしたか?
 いいえ!
 その時、「その瞬間」のあなたは不幸ではあり得ませんでした。なぜならあなたの「人格」がそこになかったからです。あなた――というか「我(が)」というものが勝手な思考をめぐらしていなかったからです。確かにその時期のあなたは不幸な状況にいたかもしれません。家には重病人がいて、恋人にはフラれ、いつも虫歯が痛み、リストラされかかってもいて、カード破産寸前でもあるし、無言電話に悩まされてもいるし、誰も信用できなくなっているかもしれません。しかしその、何かに熱中し、あるいは何も考えずにいた「没我」の一刻だけは、それらのわずらわしいことを全て忘れ去っていたのです。無心でした。無我でした。我がなくなったその時、あなたは「内とつながっていた」「幸せな状態」と思われます。
「じゃあつまりテレビでもマンガでもいいから没頭して、現実逃避をしろってわけね?」と言う向きもあるかもしれませんが、決してそのような「後ろ向きのススメ」ではありません。思い出してください、あなたの「内なる魂」は神様の一片。法則、因果律のかたまりです。「やらなかったら、やらないだけにしかならない」という法則をもった一片につながって、なおかつ幸せになるためには、「できるだけのことをして、あとは心配しない」という一生懸命プラス楽天的な姿勢が大切なのです。テレビやマンガが悪いというわけではなく、何であれ何かから逃げるために熱中するのであれば、その分は、ただ上昇も下降もない休止にすぎないということです。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
幸せになるその方法7 あなたはもう幸せなのに/守護霊様とおしゃべり!/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる