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日 時 |
すべてはうつろいゆく
次の時期に東京近郊を仕事で離れる予定でいます。他にもありますが確定していないので、また決まり次第アップします。この先もわかり次第書くように努力します・・・・!
なお、字の大小はなにも関係ありません。
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2011/10/07 19:14 |
本文の前に
いつも北海道リーディングの会に関して、ひとかたならぬお世話になっております工藤さんが、このブログを一冊の本の形にまとめてくださいました。「守護霊さまとおしゃべり!」を収録してないため500円とお手頃です(^-^ゞ
お求めご希望のかたは、以下に、「住所氏名を書いた紙片」「100円切手7枚(送料等含む)」をお送りください。お待ちしております!
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2011/01/04 17:48 |
はしがき
はじめに
自分が、もうすでに幸せであることに気づいていない人が多すぎるように思えます。
特にこのところ巷には「幸せになれる本」といったものが溢れていますが、ほとんど同じことを、ちょっとだけ違った言い回しで書いてあるものです。この本の前半も、そして「あとがきにかえて」も、ややそれに近くなるかもしれません(違うとしたら、作者つまり私がいくぶん突飛に思われる人間であるくらいです)。人はそれぞれ違った生き方をしています。しかし幸せになる方法には、それほどヴァリエーションがないのです。
「...
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2008/09/03 16:58 |
T 幸せになるその方法
T 幸せに輝いた数日
ひとケタの年のある日に、父と近くのお寺の縁日にお参りに行きました。父はとてもおっかない人で、普通の父親だったら絶対に怒らないような小さなことで、道中必ず何か雷を落とすため、どこかへ「一緒に行こう」と誘われるとゾ〜ッしたものでしたが行かないと言っても怒られるので、仕方なくいつも、悲壮な決意と共に付いていったのです。
けれどもその日は、父はいつにもない上機嫌で、屋台で売っていた十字架のペンダントを私に買ってくれました。ちなみに、ご存知の方も多いと思いますが、私は女か...
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2008/09/03 16:52 |
幸せになるその方法2
おお、病院裏の空き地で魔方陣を地面に描き、ひざまずいてブツブツと呪文を唱える小学五年生の不気味さよ! ただしそこは十歳のこととて、真夜中にやるべきことなのに夜はこわいため、まだ日が落ちない明るい夕方にやってしまっていました。もちろん悪魔を呼び出すのに色々と用意しなければならない物、たとえば黒いメンドリだの死刑囚の手首の塩漬けなどもなかったのです。不備があること極まりなかったのでした。おかげで一度たりともどんな悪魔も現れず、私もそれ以上堕落せず現在に至っています。
しかし、思いは真剣でした。...
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2008/09/03 16:51 |
幸せになるその方法3
心と身体の性別が不一致である苦しみ、あるいは性同一性障害全般については、私も十冊以上書きましたので、詳しくはそちらをどうぞ。私としてはこれ以外の人生を知らないので、生まれつき心身の性が一致している人の暮らしは想像しかできないのですが、多くの人々は私たちの生活については、想像すらできないのではないかと思われます。
家族、友人、職場の人々との不和、恋愛の悩み、学業や仕事の問題、病気やケガなどのような、一般的な悩みは私たちもあります。しかしその上に、性同一性障害に関連する数十、数百のわずらいがあ...
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2008/09/03 16:48 |
幸せになるその方法4
この時のこの心境に再び至りたいために、今私は努力しているような気もします。今も私は友人知己のために祈ります。世界中の人々のためにすら祈ります。しかし正直なところ、「そうするべきだ」と思ってそうしている、というのが本音です、それでもしないよりはマシでしょうけれど。けれどもこの手術直後とそれに続く数日の間は、心の底から感謝と祈りが湧きあがって、止めようにも止められませんでした。自分と他人の区別なく、とにかくみんなのために祈ることが、そうしようと思う前からできたのでした。冷静な頭で、その後の生活上の...
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2008/09/03 16:46 |
幸せになるその方法5
内なる神へ向かって
とは言えこのような考えは、術後の生活が落ち着いてかなり経ってからハッキリ意識したもので、それまではそれどころではありませんでした。日記を読み返さない限り、何をしていたかどんな気持ちでいたかまったく思い出せないほど、長いこと無我夢中でした。
術後十年近く経って借金もかなり減り、著書も数冊出して行く道も何となく見えてきた頃にようやく、それまでは記憶の底から泡のようにあがってきては、輝きだけを残して何だかわからないうちに消えていく、「術後の数日間」の本物の幸せの印象を、眠り...
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2008/09/03 16:44 |
幸せになるその方法6
ゆるぎない法則 大いなる愛
「神様」などと書くとどうしても「なんだかなァ」と思う人が少なくないように危惧されますけれども、高齢の白ヒゲの男性で(しかも西洋人で)玉座におさまっている、という想像は捨ててください。前述したごとく、人種も性別も形状もなく、しかも全てになり得る(この世の全ての人種、全ての性別<二つ以上あると思ってください>、全ての形を創られたのですから)ものすごいエネルギーで、ゆるぎない法則にのっとって運行されています。ですからその「法則」こそが神様のカタチと思ってくださってよいかも...
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2008/09/03 16:42 |
幸せになるその方法7
瞑想を習慣にしている方は増えていると思います。これからはそのような目覚めた人が多くなっていくことでしょう。しかし私はダメでした。病母と暮らしているので、家の中で長く一人きりになることが難しい、ということがあります。特に夜などは、いつ「具合が悪い」と言ってくるかと思うと落ち着きません。
母をケアホームに一時預かってもらって講演旅行に出ると、夜はホテルに一人きりになりますが、拙宅のように「悪いもの」が入って来ない工夫をしているわけではない所で意識をカラッポにすることは、どうも変な憑依をされそう...
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2008/09/03 16:40 |
幸せになるその方法8
「でも私はどう考えても、今まで何もそんなに夢中になったことないよ。ドラッグやセックスは別だけど」と言う人もいるかもしれません。けれども「やっただけのことが返ってくる」のですから、そういった刹那的な没我には刹那的な幸せ、たいていはそれをしている間だけの快楽しか返ってこないものです。
「でもさー、仕事はかったるいし、本なんてつまんないしー。なにも趣味とかないし、没頭なんてできるもんねーよー。ボーッとしていりゃいいならラクだけど、それだけで過ごすなんてのも違う気がするし、そのうち何か考えちゃうしさ」...
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2008/09/03 16:38 |
幸せになるその方法9
特に叶えたい望みがある場合
もし私が子どもの頃からこのようなテクニックを知っていれば、虚弱児童のための海辺にある学校にもう少しで行かされそうだったほど病気ばかりしていた時も、ひどいいじめられっ子だった時も、男の身体をしていないことが信じられなくておかしくなってしまいそうだった長い年月も、きっとずっと心穏やかに過ごしていたでしょう。
思い出すのは、しかし、虚弱児童だった頃の或ることです。今ですと体温が一度あがっただけで大騒ぎしてしまいますが、子どもの頃はどんなにひどい病気をしても、病気がも...
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2008/09/03 16:34 |
幸せになるその方法10
守護霊様の大いなる協力
ここを書いている数ヶ月前に、京都で行われたあるシンポジウムに出席した時のことです(実際にはこの本は、2005年から三年がかりで書いたものなので、ここに記述のあるシンポジウムも、08年現在からみると数年前のことになりますが)。シンポジウム自体の前宣伝は各所で長いこと行っていたので、話し手の中に私がいると知った、関西の性同一性障害の当事者や仕事関係の方々が、「終わったあとに相談にのってほしい、話し合いたい」と電子メールや手紙をくれました。私は時間の許す限り予定を組み、なる...
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2008/09/03 16:33 |
幸せになるその方法11
――ここで少し、私自身の守護霊様についてお話させてください。私は一九八八年に、初めて本当の霊視を受けました。今はもう霊能者としては引退しているその人は、一般家庭の主婦で、瞳の色が少し薄い以外は、優しそうな普通のお姉さんでした。
彼女は私の守護霊様は、「十七歳で修行中に餓死した真言密教のお坊さん」だと言いました。「虎井さん自身、お寺に入ったりする生活がすごく向いている」とも言われました。
私は自分が子どもの頃から神仏に関する事柄に惹かれていたことや、お盆の時期などに道でお坊さんを見かける...
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2008/09/03 16:30 |
U 神道1
U 神道 1
ありがたいことに全国から講演のご依頼を受けて、男女共同参画月間や人権週間などは特に忙しく、旅から旅への日々になることがあるのですが、わりと多く行くのが九州と関西です。関西でも、なぜか奈良が多いのです。
ただ悪いことに私はとても方向音痴なうえにボーッとしているので、どこに行っても道に迷ったり電車を載り間違えたりすることは覚悟せねばなりません。それがわかっているので時間に余裕をみるため、ものすごく遅刻してしまった、というような覚えはないのですが、これからも気をつけて...
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2008/09/03 16:15 |
神道2
けれども神代の昔から、というのは当っていました。垂仁天皇は『日本書紀』中の人物だからです。そう思ってみたりすると、また古代の日本人が見たものとあまり変わらぬ風景を見ているのだと考えたりすると、やはりなんとなく並々ならぬ土地の気のようなものが感じられもしたのでした。
さて、前章の終わりに「私になじみ深い」と書きましたけれど、「神道」というものがなじみ深いかどうかは疑わしいものでした。私の信仰している新興宗教は、あらゆる儀式が神道的(衣冠束帯、玉串奉奠を伴う等)なのですが神道としての宗教法人格...
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2008/09/03 16:14 |
神道3
日本人の根源
冒頭に天皇陵のことを書きましたが、土地の気、そして古代の日本の風景に心打たれたという以上のことを書いたわけではありません。神道と言いますと、「天皇が天照大神の子孫で、万世一系でどうのこうのというアレだろ」と苦々しい思いを抱く人も少なくないのかもしれませんが、それは国家神道というもので、あとから付いた道の一つなのです。もともとは大自然に対する畏敬の念から始まったものであり、誰が開祖ということもありません(ずっと時代が下って、金光教、天理教など開祖をいただくものもできましたが、それ...
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2008/09/03 16:12 |
神道4
八百万の神々
「そもそも遠い昔のこと、造化の気がしだいに凝りかたまっても、いまだに外に現れて来るにはいたらず、したがって名前もなければ、動きもない、誰もその形を知らないというそもそもの宇宙の初めに、天と地が分かれ・・・・神々が国を生み、島を生み、また神を生み、人を生んだ」
これは神道の根本教典とも言える『古事記』の序文の一部です(福永武彦訳『現代語訳 古事記』河出文庫)。『古事記』は稗田阿礼という女性(と言われています)が暗誦していた神話、歴史を選択して太安万侶が記録したもので、元明天皇の...
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2008/09/03 16:10 |
神道5
仏様は神様です
性同一性障害を抱える人々の運動のしかたを考えても、アメリカでやってうまくいった方法が、そのまま日本でうまくいくとは限りません。どんなことであれ、それは同じだと思いますが。
たとえばアメリカで男から女になることを考えた場合、特に白色人種に顕著ですが、デカくて毛深くてゴツい女性になりがちで、見た目で分かってしまうことが少なくありません。そして保守的なキリスト教国によくいる、「聖書で禁止されていることを行う者には罰を!」と思いこんでいる輩からひどい暴力を受けてしまい、命を落とし...
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2008/09/03 16:09 |
神道6
人も神となる
もっと柔らかいアプローチもあります。三十年以上もかけて『古事記』の注釈書である『古事記伝』を完成させた、江戸時代の国学者本居宣長のその『古事記伝』第三巻には、「さておよそ迦微(神のこと。この文の中で使われている「神」は、偏在する気や霊というのもの中でも神格をもって表される、いわゆる神様のことで、ここで全体に説明される「カミ」の一部のことであると思われます――虎井注)とは、古御典等に見えたる天地の諸の神たちを始めて、それを祀れる社にまします御霊をも申し、また人はさらにもいはず、鳥...
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2008/09/03 16:06 |
仏教1
仏教については神道やキリスト教よりずっとずっと長くなってしまうだろうから、不公平に思われやしないかと懸念していましたが、書いてみましたら特に長くもならなかったので安心しました。なぜ長くなると思ったかというと、一国の民族宗教と言ってよい神道や、全世界に信者はいて様々な宗派はあるけれども、根本教典が旧約新約の聖書に絞られるキリスト教と違って、仏教は世界宗教でもあり、かつ「八万四千の法門」と言われるほど数多の経典を持ち、しかも原始仏教と我が国にて伝来してきた仏教を同じものと考えてよいとも言いづらいた...
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2008/09/03 14:53 |
仏教2
空
釈尊やイエス様は、おとなしく物静かで決して激情にかられないイメージが強いですが、実はお二人とも各々が出現した当時の堕落した社会を改革すべく果敢に挑戦した、内面の熱い人々だったということです。
釈尊は当時の、全ては一つと言われながらも公然たる差別がまかり通る状況を打破すべく、「我なんてものはないんだ! 永遠なるものなんてないんだ!」と説きました。
仏教は唯一絶対神を掲げません。造物主たる永遠不滅の大いなる者も、不変の魂もないのだとします。自分の内に永遠不滅の我などないのだということ...
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2008/09/03 14:52 |
仏教3
今ここに心を静める
ここを書いていて思い出すことがあります。まだ私がひとケタの年の頃、デパートのおもちゃ売り場で、一つのおもちゃ――というにはあまりにも面白みのない、ある物に魅せられてしまったことがありました。小さな水槽の中で丸い透明な玉が幾つか浮いたり沈んだりしているだけのもので、なぜそんな物に夢中になったのかわかりません。確か母か誰かを待っていて一人でいる時にそれに目を奪われ、じーっとその動きを視ているうちに、おもちゃ売り場ですから子どもたちの声がものすごくうるさかったでしょうけれど、だ...
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2008/09/03 14:50 |
仏教4
自他不二
心を静めると、少なくともその間だけは自我や思いが消え、自我や思いがなくなったところに内から湧き上がる仏性が充満します。すると突然、内なる仏性と、外界を満たしている仏性が溶け合って、自分と外界が別のものである、という感覚が脱落してくる瞬間があります。
自分と大自然は一つ、大宇宙は一つ。宇宙の中に自分があり、自分の中に宇宙がある。
生きとし生けるものは、みな一つである。
T章でも神道でも同じ意味を書きました。一言でいうと、「ワンネス」です。
そのことを深く理解した釈...
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2008/09/03 14:48 |
仏教5
菩薩行
先ほど「如来と仏陀は同じもの」と書きましたが、では「菩薩と如来」はどう違うのでしょうか。観世音菩薩や阿弥陀如来という名称などありますが、菩薩というのは仏陀(目覚めた人)ではないのでしょうか。
菩薩(菩提薩タ★)は、元来は悟る前の仏陀、つまりシッダールタを指していましたが、大乗仏教に入って、悟りを求め修行する人のこと、そして悟れる一歩手前で踏みとどまり、あるいは悟ったけれどまたその前の段階に戻ってきて、「私よりまずあなたがたを先に彼岸に渡しましょう。私よりあなたがたの救いのほうが先...
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2008/09/03 14:44 |
仏教6
大きな楽しみ
仏教には本当に様々な宗派がありますが、また、もしかしてそれぞれの派によっては同じことを違う名で読んでいるかもしれませんが(ここには大筋と絡まないため書きませんでしたが、人生を輝かせるすばらしい言葉や逸話は、諸宗経典の中にザクザク見つかります。現代語訳で読むと、なんともわけのわからなかったお経がこんなに面白いものがだったんだ、という発見もきっとあるでしょう。ご自分の信仰があってもそれはそれ、ぜひ書物として楽しんでみてください)、この点はどこも外してないと思います。
T章で言う...
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2008/09/03 14:43 |
キリスト教1
自動書記というものがあります。この章以降、私の友人がそれをしていることが度々出てきますが、自分の守護霊様とか、高次元の霊などから無意識に、あるいは意識的にメッセージを受け取って、無意識状態、あるいははっきりと覚醒した状態でそれを書き取ることです。本当に勝手に手が動くのだそうです(人によっては非常に低級な霊がいたずらする場合もあるので注意が必要です)。たいていは、メッセージを受け取ると同時に書き出しています。
例えば覚醒した状態でスラスラ書いている人を見ると、それが別の次元から送られてきたもの...
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2008/09/03 14:38 |
キリスト教2
父と子と聖霊と
いかに大好きとは言え、にわか勉強の私にも、なんとなく本能的にすり寄れる点と、同じく本能的に避けたい点が、キリスト「教」にはあるのです。
もちろん、一緒くたにして一口に語れるものではありません。仏教ほどの数ではないにしてもキリスト教にも、かなりの分裂・分派がありました。正統教会と異端教会、東方教会と西方教会、カトリックとプロテスタント、法定教会と自由教会、等々。信者ではない人が一番よく聞くのは、カトリックとプロテスタントではないでしょうか。それでもその違いがわかる日本人は、...
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2008/09/03 14:36 |
キリスト教3
入り易き門に
私は先ほど日本的なキリスト教になったら世界はもっと平和だ、などと書きましたが、日本で毎日放送されている某キリスト教専門ラジオ番組の中では、少なくとも私が二〇〇七年までに聴いた回に関しては、性的少数者に好意的な言い方をしてくださったことはありませんでした。同性愛も、性同一性障害も、そのように生まれついたのだと聖書が書かれる当時にわかっていて、罪であるような書かれ方をされなかったら、もう少し違っていたのかもわかりませんが――。
そうは言っても、私はやはり日本的なキリスト教に拍手し...
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2008/09/03 14:28 |
キリスト教4
その神秘体験
数々の病人を癒し、死人を蘇らせ、水の上を歩くなど様々な奇跡を起こし、ご自分が死んだ後に復活したというイエス様は、まさに神秘の人ですし、その弟子たちの行状も奇跡のオンパレードです。「新約聖書」はかなりエキサイティングなので、ぜひご一読ください。
キリスト者の中にも、「水の上を歩いたり天から多くの食べ物を降らせたりというのは、何かの比喩であって事実ではない」という立場の人も少なくありません。私は女装や同性愛はよろしくない云々と書かれている箇所は、聖書筆記者の主観によるもので、ま...
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2008/09/03 14:26 |
キリスト教5
神様は外から?
しかし先の聖テレサと言えども、「内なる神に目覚めればあなたも神、私も神、みんな同じです」というようなことは言いません。神様が自分の内にあり、それに気づくことで神様との一致に向かうというよりは、神様が外から来たって(と言っても、どこもここも神様がおわすのですが――「キリスト教は汎神論ではありません。しかし私たちを存在せしめ、生かしめているのは神であり、その神の中に私たちは存在しているのですから、キリスト教は汎在(パンエン)神論(ティスム)というのが一番正しい表現であろうと思いま...
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2008/09/03 14:17 |
キリスト教6
神様になりたいですが、なにか?
しかしそれで傲慢になるかというと、決してそんなことはありません。神秘を感じる度合いが増せば増すほど、ますます謙虚になる人のほうが多いです。同時に、「自分のような者がこのような不思議を甘受できるのは、この世の常ならぬ幸せである。だからもっと周囲の人に優しくして、この幸せを、形は違えど分けてあげなくては。みんなで幸せを分かち合うのだ」と決心し、周囲に対して、より明るく親切にふるまう人がほとんどなのです。
これが「神様になりたい」態度でしょうか。――ええ、きっと...
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2008/09/03 14:16 |
キリスト教7
謙遜
「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」(マタイによる福音書二三――十二)
「へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず...
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2008/09/03 14:13 |
キリスト教8
天国のありか
しかしそのように、自分をなくしてキリストで満たした場合というのは、そこを満たしたものが内から湧こうが外から来ようが関係なく思われるでしょう、それはわかる気がします。そんなことを気にする「自分」が、すでにないのですから。あるのは神様の御意志、愛だけです。
キリスト教的に言えば、隣人愛です。
「『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない」(マルコによる福音書十二――三十一)
それだからかもしれません。私が他宗教のことをもよく知らない...
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2008/09/03 14:12 |
あとがきにかえて1
かくして、T章の精神世界、U章の神道、仏教、キリスト教と、ピンポイントのみで観てきましたけれど、「やはり何百年も、もしかしたら何千年も前から同じようなことを言ってきているんだなあ」という考えはそのままです。
精神世界、今はスピリチュアリズムというほうが通りがよいくらい浸透しているものは、厳密には宗教ではないと思います。けれども逆に、宗教がスピリチュアリズムの枠内のものなのです。そして「幸せになりたい」気持ちのある人がご縁を得た時に、信仰をするものなのだと思います。そのために両方の内容にか...
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2008/09/02 22:22 |
あとがきにかえて2
★このように、「自分」や「自分たち」に固執しない。相手のことを考えつつ、まず動く。
T章に強調して書きました「因果律」ということは、のちの信仰の章ではあまり書きませんでしたけれど、この実践をして「相手のことを考えて」動いている時には、善い因果しか回りませんから大丈夫です。「果報は寝て待て」と言いますが、この場合の意味はおそらく、「よい結果や幸せのことばかり気にかけず、いったんそのことについては忘れて、自分のやるべきことをやって寝て待っていろ」ということでしょう。「あすのことを思いわずらうな」...
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2008/09/02 22:20 |
あとがきにかえて3
神道には、まさに「中今」ということが言われました。「現在の今を全力で生きる」(○○ページ参照)。古来日本人がやってきたことで、そのために大らかな時代を生きられたのではないかと思うのですが、いつのまにか先々にばかり目を向けるようになり、不安な日々を送るようになってしまいました。今こそ先祖の生き様に立ち戻る必要があるのではないでしょうか。
仏教でも「今ここ」は基本です。如来(仏陀)となるための道が仏教、仏の道であり、如来になる前の段階に菩薩というものがある、と仏教の章に書きました。その菩薩たち...
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2008/09/02 22:17 |
あとがきにかえて4
ただし、これもT章に書いたことの復習ですが、「どうしても、絶対に、何があっても叶えたい望みがあって、それが叶わないうちは自分は幸せになんかなれっこない!」と思い詰めている場合があります(性転換前の私のように)。今思えば、もし右記の「幸せの軌道」に乗ってしまえば、「それが叶わなくては幸せになれない」などということはない、とわかるのですが、現実に燃えたぎる悲願の炎に包まれていると、なかなかそこまで冷静になれず、「言われてることはよくわかるが、それでもやっぱり自分のこの望みは別だ」と言ってきかないも...
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2008/09/02 22:14 |
守護霊様とおしゃべり!1
1.私の「ニャンコ先生」
ここからはフロクです、お気軽にお読みくださいね。もともと本文は、単行本にしようと思って2005年からコツコツ勉強しつつ書き終えたものでした。しかし「虎井まさ衛の書いたもの」ということで読者が限定される恐れがあり、今度ばかりはどうしてもそれは避けたいという思いが募ったため、初めてオンライン公開というものをやってみたのです。
本用に書いたものをそのまま貼り付けたので、ところどころ校正中みたいな箇所があるかもしれません、お許しください。時間の許す限りまた読み返し、直した...
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2008/09/02 22:01 |
守護霊様とおしゃべり!2
2.人それぞれに
人のお守りというのは、その人の頑張りに応じて増えたり減ったりするものですが、多くの場合、増減があるのは指導霊(選手)と補助霊(サポーター)で、主護霊様(監督)と司配霊様(マネージャー。司配霊様は、お守りが三人以下の場合には指導霊様が兼ねることが多いようです)はその人の人生のどこかで指導的守りに付くことはほとんどないようです。
Lさんは司配霊なので、私の人生のどこかの時期に付いてくださったことはなく、代わりに人生の全ての時期に、采配をふるってくださる方であります。私のお守...
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2008/09/02 22:00 |
守護霊様とおしゃべり!3
3.死してなお(信仰)
しばらくはLさんとの、これ以上ないほどの興味深い書記が続き、「ああこれだけでも私は大満足」と思っていたところ、半年ばかりしたある夜、半分眠っていたときにいきなり口が開いて、私の声ですがやや低い声で、「・・・・には家来がたくさんおりました。その中の一人で○○というものは・・・」と昔語りが始まったのです。それは主護霊のJさんが、なにゆえ自分が侍の身分から出家したのか、といういきさつを説明して聞かせてくれたのでした。(慣れた今でも、自分の意志とは無関係にどなたかが話し始める...
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2008/09/02 21:59 |
守護霊様とおしゃべり!4
4.死してなお(性格)
イケメンがどうのこうのと書きましたけれど、いまや各御霊は通常は光そのもので、姿かたちはありません。私の夢やヴィジョンにおでましになる時だけ、生前の20代半ばの形で来られるのです。
しかしその性格は、私ばびっくりしたのですけれど、どんなに死後高いところへ行かれようとも、生前のものがそのまま残っているといって過言ではないようです。
Lさんは今まで記したとおりの方で、話し始めはなんとなく照れくさそうで、「なんだ、またか。うるさいぞ」と言われたり、「そんなことはこれこ...
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2008/09/02 21:58 |