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zoom RSS キリスト教8

<<   作成日時 : 2008/09/03 14:12   >>

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天国のありか
 しかしそのように、自分をなくしてキリストで満たした場合というのは、そこを満たしたものが内から湧こうが外から来ようが関係なく思われるでしょう、それはわかる気がします。そんなことを気にする「自分」が、すでにないのですから。あるのは神様の御意志、愛だけです。
 キリスト教的に言えば、隣人愛です。
「『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない」(マルコによる福音書十二――三十一)
 それだからかもしれません。私が他宗教のことをもよく知らないだけかもしれませんが、仏教の章で書いたように、特にキリスト教の人々は、社会的な奉仕活動に余念がないように見えるのです。マザー・テレサのことを思い出してください、自分の救いがどうこう言う前に、苦しむ人々に救いの手を差し伸べるあの姿を。それこそがキリスト者らしい歩み方なのです。願わくば、「いくら苦しんでいても、性的少数者は救済対象から除く」という一文が付きませんように。個人名ではない<キリスト>のもとにおいて、みんなで一つであること、つまり<ワンネス>が、やはりイエス様の御旨であることは間違いないのですから。隣人愛の拡大版が、ワンネスなのですから。
 それはとても暖かい、幸せな図です! キリストに満たされ、自分と人との区別なく愛して、尽くして、明日を思い煩わない人々の世界。そこが天国でなくて、どこが天国でしょう。
 そうです、天国は「状態」のことを言うのです。前ローマ法王ヨハネ・パウロU世さえ、地獄は「神によって外部から与えられる懲罰ではなく、この世で人びとがすでに展開している前提条件である・・・・・・この世における人びとの姿勢や行動の結果として生じる状態である」(法王庁の機関紙「オッセルヴァートレ・ロマーノ」より、一九九九年七月の講話。ニール・ドナルド・ウォルシュ著、吉田利子訳『神へ帰る』サンマーク出版からの孫引き)と言っています。カトリックの頂点である人が「地獄は状態である」と認め、イエス様ご自身が次のようにおっしゃっているのですから、地獄も、そして天国も、どこそこにあるものではなくて「状態」――周囲の状況でもありましょうが、たいていは人の心の状態だということなのです。この世に天国を出現させるのは、実に私たちの心一つにかかっているのだということが、よーくわかるのです・・・・・・!
「神の国は、見られる形で来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(ルカによる福音書十七――二〇〜二十一)
 このようにT章、そしてアジア的な諸要素との隔たりが感じられがちなキリスト教も、イエス様ご自身から離れずに語ると、共通点が鮮やかに浮かび上がってきます。分ける教えではなく、つながる教え。心を静め、神様とさえもつながる教えなのです。今では聖書を女性の視点から読む、様々な違う立場から読む、ということも盛んですが、性的少数者の立場から読み直すというようなことを続けていけば、本当に必要な人への救いとなる一冊に編集し直すことができるかもしれません。
 まあ色々人の手によって気になる所が残されているとは言っても、もちろん人類のすばらしい必読書であることに変わりはありませんが。
 最後にその聖書から、私が一番好きな箇所を挙げておきます。このことさえ忘れなければ、それこそ「今ここ」が天国なのです。
「弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。だれも悪をもって悪に報いないように心がけ、お互いに、またみんなに対して、いつも善を追い求めなさい。いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである」(テサロニケ人への第一の手紙五――十四〜十七)

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