あなたはもう幸せなのに/守護霊様とおしゃべり!

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zoom RSS あとがきにかえて1

<<   作成日時 : 2008/09/02 22:22   >>

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かくして、T章の精神世界、U章の神道、仏教、キリスト教と、ピンポイントのみで観てきましたけれど、「やはり何百年も、もしかしたら何千年も前から同じようなことを言ってきているんだなあ」という考えはそのままです。
 精神世界、今はスピリチュアリズムというほうが通りがよいくらい浸透しているものは、厳密には宗教ではないと思います。けれども逆に、宗教がスピリチュアリズムの枠内のものなのです。そして「幸せになりたい」気持ちのある人がご縁を得た時に、信仰をするものなのだと思います。そのために両方の内容にかぶる所があっても、不思議はないのです。
 ただ信仰の場合は、たいていは限られた教祖様がいて、決まった教義のようなものがあって云々と、一定の枠組みがありますし、それに不自由さを感じる人も多いことでしょう。それは結束を強めるためもありますから、ある程度は仕方ないでしょうけれども、やり過ぎると分断を生み、大きな意味での精神世界の基本からズレてしまいます。
 その基本とは、一つであること。「ワンネス」です。
 自分たちの仲間だけが一つになって救われればよい、というものではありません。救われる人を増やしたいと思う心は美しいですが、そのあまりに、嫌がる人を自分たちの信仰に引っ張り込もうとするものでもありません(もちろん自分の信ずるものを人に伝えて、仲間になりたいと思うのは悪いことではありませんけれども)。
 同じだろうと違おうとそんなことは関係なく、全ての一致を意味するのです。
 偉大な宗教家には、これらのことは自明です。次に私の尊敬する三人の著名な方々の言葉を挙げてみますが、私がこの本に長々と書いてきたことが全て表されているのではないかと思います。そしてこの方々は、著名になりたくて活動したわけではありません。ここが大事なのです。その「自分」のない活動そのものによって、自然と世界に名が轟いたのです。
「こう」と思ったら、動く。幸せになりたい人は、これも基本のキです。なにか幸せになるハウツー本を読んで、そこに書いてあることを何日かやってみて、それで結果が出ないからとやめてしまっていては、まあ読んだだけマシかもしれませんが、そんなによいことを期待するほうが無茶というものです。ここに書いた人々は、終生動きました(ハン師はまだご存命ですが)。自分が幸せになりたいためではなく、人を幸せにするためでした。そしてそのために、自覚していたかどうかは別として(というのも自分の幸せのことなど考えていなかったと思いますので)、幸せな一生を送ったのです。
 それぞれ、ヒンドゥー教、仏教、キリスト教の人です。
「宗教は我々の行為のすべてに浸透しなければならない。ここで宗教とは、宗派主義を意味しない。宇宙の秩序正しい道徳的支配への信仰を意味する。それは目に見えないからといって、実在しないわけではない。この宗教は、ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教等々を超越する。この宗教は、それら諸宗教にとって代わるものではない。それらの宗教を調和させ、それらの宗教に真実性を与えるのである」(マハトマ・ガンディー著、竹内啓二他訳『私にとっての宗教』新評論)
「私は、仏教とキリスト教のあいだに、それほど大きな隔たりはないと確信しているのです。このふたつの伝統を分断してきた境界線のほとんどは、本来的なものではありません。真理に境界はありません。仏教とキリスト教のあいだに何らかの相違があるとすれば、それは、おそらく強調の仕方が違っていたということではないでしょうか。/人は生まれた伝統によって、仏教徒になったり、キリスト教徒になったりするのです。仏教やキリスト教はそれぞれの文化や文明の一部なのです。人は自分の文化にはよく慣れ親しんで、当然、よいものとして受け入れます。そのとき、他の文化や文明のなかにも人々が信奉する美徳があることを、忘れてしまうことがあるのです。心を開いて見つめれば、自分の宗教的伝統だけがすべての真実と美徳を専有しているのではない、と気づくはずです。しかし、救済は自分の宗教以外では有り得ないという考えにとりつかれるのも想像にかたくないのです。自らの伝統を正しく、深く実践してゆけば、このような危険な考えに陥らないですむのではないでしょうか」(ティク・ナット・ハン著、池田久代訳『生けるブッダ、生けるキリスト』春秋社)
「マザーはいわれた。/『ヒンズー教やイスラム教の人々に向かって死ぬ間際に三位一体の神様について話すのではなく、彼らが今まで信じてきた神様がやさしい天の御父であり、彼らを愛し、かなたで待っておられることを思い出させるのです。だから、ヒンズー教徒にはガンジスの水を注ぎ、イスラム教徒にはコーランを読んであげる。天の御父があなた方を待っておられますよと告げ、天に見送るのです。彼らが今まで信じてきた信仰によって御父のもとに帰してあげるのです。』/わたしは、さらにきいた。/『あなたがキリスト教の話を聞かせ、洗礼を授けた人がいのちをとりとめ、ここから出ていった場合にはどうなさるのですか?/教会法よれば、洗礼を授ければ小教区に届けることになっていますが。』/『そういうことはいたしません。そこから先は神様とその人とのあいだの問題ですから。』」(女子パウロ会編『わたしはマザーに会った 20人が語るマザー・テレサのすがた』)

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