あなたはもう幸せなのに/守護霊様とおしゃべり!

アクセスカウンタ

zoom RSS 幸せになるその方法5

<<   作成日時 : 2008/09/03 16:44   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

内なる神へ向かって
 とは言えこのような考えは、術後の生活が落ち着いてかなり経ってからハッキリ意識したもので、それまではそれどころではありませんでした。日記を読み返さない限り、何をしていたかどんな気持ちでいたかまったく思い出せないほど、長いこと無我夢中でした。
 術後十年近く経って借金もかなり減り、著書も数冊出して行く道も何となく見えてきた頃にようやく、それまでは記憶の底から泡のようにあがってきては、輝きだけを残して何だかわからないうちに消えていく、「術後の数日間」の本物の幸せの印象を、眠りに落ちる直前にもどかしく思い出すことが、時々あるくらいのものでした。
 そんなある日、一冊の本を手に取りました。『アウト・オン・ア・リム』(シャーリー・マクレーン著、山川紘矢・山川亜希子訳、角川文庫)、今となっては古典的名著です。シャーリー・マクレーンも、すでに七十歳を越えたハリウッドの大女優ですが、彼女が精神世界に詳しいということは、これ以前にどこかで目にしたことがあり、パラパラとめくってみたところ異様に面白そうだったので、「これは!」とばかりに買ったのでした。
 その翌日には、同文庫になっているシャーリーの作品を全て手に入れました。それほど夢中になったのです!
 死後の世界、超能力、心霊現象、UFO、そういったことに没頭した子どもの頃。悪魔を呼び出そうとした病院の裏庭。そういった記憶の印象(記憶そのものではなくて、その記憶のもつ雰囲気と言いましょうか)が、一挙に蘇ってきました。実際そういうことを何も知らずにいたシャーリー自身が、それら全てに向かって心を開き、うらやましいことに経済的な心配もなく各国を訪ね歩いて、その道を極めた人々や霊から教えを乞う等、ドキドキワクワクの「本当にあった不思議な話」の宝箱なのでした。
 宝箱はもちろん一連のシャーリー本だけではなく、『神との対話』シリーズで著名なニール・ドナルド・ウォルシュの著作や、シルバー・バーチという古代の霊が現代のイギリスの霊媒を通じて語った「シルバー・バーチの霊訓」シリーズなど、参考図書から参考図書へと渡り歩いたのですが、どれもこれも至高の宝玉でした。
 その宝の山の中に多く見うけられて、かつ一番輝きをもって迫ってきたのが、<内なる神>という考え方だったのです。
 小さい頃から、特に仏教系の読み物などで、「虫も動物も人間も同じ元から出ている。みんな元は一つなのだから、一つの大きな命の輪なのだ。生きとし生けるものを大切に、仲良くしよう」といった言い回しは何万回と目にし耳にしてきて、台所に貼ってある「火の用心」のススけた札のようになじみ深い考えである、と思っていたのですが、この時期に読んだ諸本によると、「確かにそういうことなのだけど、さらに一歩深めて、その<同じ元>とつながろうではないか」と言うわけなのでした。この考えは、ほとんどの精神世界の本に共通しているものでした。
 けれども時として、本によって意見がマチマチなのが、「輪廻転生」についてでした。前世の記憶をもつ子どもたち。あるいは前世の記憶を呼び覚まして現世の病気の治療に役立てる。どれを読んでもとても説得力がありましたし、別にあってもおかしくはないことです。また「人は死後の世界でその人なりの修行を積んでいき、ついには神と一つになる」と述べている本も少なくありませんでした。そうなりますと、この世に戻ってはこないということになりますが。
 私は自分の信仰している所が「生まれ変わりはない」と断言していることと、私自身が「死んだ後はずっと霊界で暮らしたい。またこの世で、今の自分の記憶をなくして別の人生を歩むなんて嫌だ」とずっと思っていたので、どうしても輪廻転生の考えに抵抗があったのです。
(三十六歳の誕生日の夜、寝床の中で突然「ああ、もう十分生きた。今死んでもあまり悔いはないな」という思いが湧いてきて、自分でもびっくりしたものでした。深く考えてみるまでもなく、心と身体と法的な性別がバラバラだったためにその時はまだ、多くの一般的なことができずにいたのですが、それでもそんなふうに思ったと言うのは、それまでの年月、あまりにも全力疾走してしまってホトホト疲れていたのかもしれません。翌朝にはそんな思いは消えましたが、でもそんなことを思った記憶だけはいつまでも残っています。ですからまたこの世に戻ってくるなんてウンザリするのも無理はないかなと自分でも思うのです。) 
 そしてかなり時間はかかったのですが、探求の末にようやく、自分なりに次のように納得したのでした(わずらわしいので、「〜なんだそうです」「〜ということです」とは書かず、自分の意見のように書いてしまいますが、一度も死んでみたことがないので、実際にはすべて読んだり聞いたりしたことに過ぎません。ただそれらは、一度はこの世にいたことがあった霊が死後の世界について語ったものではあります)。
 今の「虎井」という私が死んで、身体から抜け出たその魂が、何十年か経った後にでも、そのまままた誰か一人分の魂として使われることは、ごくマレです。虎井本人が強く望むか、あるいは虎井に付いていて下さる守護霊様が強く勧めるかすれば、「そのまま転生」もあり得ることですが、多くの場合は私が望んだように、死後の世界で長い永い時間、修行を重ねていくのです。
 では前世の記憶をもつ人々がいるのはなぜか、ということなのですが、これもまた荒唐無稽としか思われないことかとも心配しますけれども、我慢して読んでいただけると幸いです。実は魂というのは、私たちが考えているよりもずーっと巨大なものなのです。色々なたとえで語られておりますが、厚い本の一ページがたとえば虎井の「人生」だとしますと、その本一冊そのものが虎井の「魂」なのです。<「虎井の魂を含む」魂>というほうが正確かもしれません。虎井の肉体の中に魂が全てあるのではなく、虎井の肉体はその巨大なかたまりから一片の魂を分けてもらっているに過ぎないのです。肉体のほうがずっと小さいというわけです。
 しかし虎井の「人格・記憶」はその一片の魂に付随し、死後しばらくの間はそれを保持したまま、いわゆるあの世で生活していくわけです(しかし面白いことに、性格や口調などはかなり高い所まで昇っても、生前のまま残ります。おそらく永久に残るのかもしれません)。つまり、虎井の「形」の内に宿っていた魂が他の誰かに転生することは、前述のようなことがない限りは実現しないのです。
 同じ本の中の別のページは、では誰なのかということなのですが、巨大な意味では虎井と同じ魂をもちますけれど、人格は別の誰かさんなのです。その人はその人なりの死後の世界があります。
 つまり輪廻転生は、あるともないとも言えましょう。ありもなしも両方あり、というのが一番かもしれません。Aさんの魂がBさんに生まれ変わるのではなく、同じ本(魂)の中の三ページ目(Aさんの人格)の次の時代には四ページ目(Bさんの人格)が来る、というわけです。同じ本(魂)の中で、話がどんどん進行し(時代も進み、魂も進化する)、ついにはラストのページに至って輪廻は終わり、その魂は完結し、大元へと戻っていくという仕組みなのです。
 そしてどのページ(人格)も、同じ本の中にあるわけですから、自分の人生以外のページをフト目にすることもあって、それが「前世の記憶」として語られるのです。それは本当は自分という人格のページの何ページか前にあるもので、人格としては別の人生なのですが、同じ本の中にあるという点では、まぎれもなく自分の魂の中の、一ページではあるのです。
 書いている私もややこしくなってきしたが、手っ取り早く言うと全ての転生、同じ魂の中の全ての生涯は、「同時に」起きているのです。前や後のページが真っ白ですと本とは言えませんね。一冊の本として完成しているということは、前世も現世も未来も「今ここに」同時存在しているのです。この次元になると、今の私たちが使っているような時間というものがないのです。それで能力のある人は、もうすでに存在する自分や他人の前後のページを見ることができるのです。
 ただ一冊として「完成」しているとはいえ、実際は中に書かれているストーリーはどんどん変わっていきます。一ページずつが連動しているのです。一つのページ(人格)の完成度が高ければ、本そのものがグレードアップします。より善く生きるのは魂全体のためになるのです。
「とか言ってっけど、同じ本(魂)ったって自分のページ(人格)は他のページのことを知らなくたってずっとやっていくんだろ? だったら他のページのことなんてどーでもいーし。好きにやらせてもらうぜ」と思う人も多いかもしれません。そこはちょっと、ギブアンドテイクというわけでもないですが、いい話もあります。 
 連動するの変化するのと言っても、何百ページもある本、つまり何百人ものあらゆる国々の人々が学んだこと経験したこと全てが詰まっているのが魂という本ですから、世界最高の図書館もパソコンのネットワークもかなわない全知のかたまりなのです。自分勝手に生きずに魂全体のためを思いやって暮らせば、その全知にアクセスするパスワードをゲットできるかもしれないのです。すごいでしょ? 好きにやるのはその後でも遅くないかと思います。もっともアクセス後は、好きにやったとしても素晴らしいことしかできなくなるでしょうが・・・・・・。それに人格としては別の人間といっても、自分と同じ魂をもっているということはほぼ自分と等しいわけです。たとえを変えて一個の身体を魂とした場合、あなたが左目なら次のページの人格は右目にあたるかもしれないのです。みな同じ身体の別のパートなのです。大切にしあったほうが全体を健康に保つには得策ではないでしょうか。
 そのように私たち一人一人は全知から分かれた一片ですから、世の全てのことを「もう知っている」のですが、何でもわかっていて生きて行くのも退屈ですから、生まれてくる時に一時的に記憶喪失にさせられてしまいます。ある種の人々はそのことに気づき、アクセスするパスワード探しに精を出すのです。またそのことに直接は気づいていない人々も、魂を大切に扱った代償としてアクセス権を得ることもあります。
 このような巨大な全知のかたまり、つまり魂は、この世に一つではありません。無数のかたまりがあります。しかし元は一つです。神様という言葉には、私は抵抗ないので使いますが、そうです、元は神様なのです。人格も性別も形もなく、しかも全て持ち合わせている存在です。絶大なる宇宙エネルギーとでも何とでも言い換えることはできると思います。全ての生き物は神様というエネルギーを、言い換えれば神様そのものの身体を魂として分けてもらうのです。魂とは、神様の一片であるというわけです。つまり私たちは、自分の内に神様がいるのです。自分の魂につながるということは、神様につながるということなのです。魂が全知なのも当たり前ですね。
 精神世界好きにはよく知られたこの考えも、初めて読まれた方には突拍子もなく思われるかもしれないのでもう少したとえ直してみると、神様をブドウの木とすると、たくさんのブドウがさがっているとして、私の魂を含む巨大なかたまりはその一房、その中の私の魂はその一粒、という感じです。同じ元から全て出ていて、ブドウが実らなければブドウの木としては役に立ちませんし、木そのものがなければブドウも生まれません。ここでも、みんなでひとつ、なのです。
「うそだ! 私はもしかして内に神を宿しているかもしれないが、アホとしか思えない友人Aや、人を殺して刑務所にいるイトコのBの中には絶対にいない」と思う人もかなり多いかと思うのですけれど、ミジンコの中にだって神様は宿っているのです。そうでなければ存在できないのです。どうみても悪魔としか思えないような人々も、その人生のひどさから学んだ何かを、次のページで花開かせる役にたてるのかもしれません。
 そうなりますとやはり、「生きとし生けるものは全て元は一つ。みんな一つの大きな家族なんだ」あるいは「みんなで一つの巨大な身体を保っているんだ」という考え、要するに「全ては一つ=ワンネス」が基本なのだなあ、と合点がいきます。もしもこの基本に徹底的に目覚めていれば、不幸になりようがないのですが、「術後の数日間」の私もおそらくこの境地に至ったのですけれど、文字通り数日間しか続かなかったのでした。
 さて、そうなりますと「内なる神様とつながるパスワード」はどのようにゲットできるかということになりますが、その前にもう少し神様について述べてみたいと思います。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)
幸せになるその方法5 あなたはもう幸せなのに/守護霊様とおしゃべり!/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる