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zoom RSS 幸せになるその方法6

<<   作成日時 : 2008/09/03 16:42   >>

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ゆるぎない法則 大いなる愛
「神様」などと書くとどうしても「なんだかなァ」と思う人が少なくないように危惧されますけれども、高齢の白ヒゲの男性で(しかも西洋人で)玉座におさまっている、という想像は捨ててください。前述したごとく、人種も性別も形状もなく、しかも全てになり得る(この世の全ての人種、全ての性別<二つ以上あると思ってください>、全ての形を創られたのですから)ものすごいエネルギーで、ゆるぎない法則にのっとって運行されています。ですからその「法則」こそが神様のカタチと思ってくださってよいかもしれません。
 卵からオタマジャクシになって蛙になること。生まれて、育って、年取って死んでいくこと。太陽が東から昇って西に沈み、月が美しく輝き、星が季節にそって運行していくこと。潮の満ち引き。ちょっと指でも切れば血が出て、かさぶたになって治ったり、約一年で身体中の細胞が生まれ変わったりという人体の不思議。これらも全て法則通りです。
 けれどもシンプルにして最強かつ最恐の法則、それは因果律です。やっただけのことが返ってくる。たいていの宗教も、ここは外していません。「情けは人のためならず」という諺も、この真理を指しています。「人によくしてあげるのは、その人のためにもなるのだろうけれど、結局その報酬は何かの形で自分の元にかえってくるのだから、人には情けをかけませう」ということなのです。やっただけの嬉しい報いがあるわけです。「人を呪わば穴二つ」というのも同類です。誰かを呪った時、その呪いを向けた先の人が死んだ
場合の墓穴と、人を呪った報いで死んでしまった、その呪いを発した者の墓穴と、二つ必要であるということなのです。悪事をすれば同量の災いが返ってくるのです。昔の人は、なんと真理に通じていたのでしょう!
 とはいえ理不尽に思えることもよくあります。呪われて死んでしまった人は、もしかして呪われて然るべきなほどの悪いことはしておらず、逆恨みを受けただけかもしれません。また、どんなに善良で人のために尽くしていた人も、いつになっても望みどおりの暮らしができないまま死んでしまうかもしれません。この人たちはなぜ、いらない報いを受けたり必要な報いが受けられなかったりするのでしょうか。
 少しだけ残念ですが、現世では十分報われないことがあります。ただその人のページ(この場合、人生)は悲劇のままだとしても、その人が考えたり行動したりした善いものは、本(魂)全体の中で、ちゃんと報われているのです。あるいは死後の世界に赴いた時、ひどい人格だった人は低級クラスからしごかれるのですが、心優しい人は天国なみのステキなクラスから、霊人としての生活を始めることができます。
 どこかしらで帳尻は合っているのです。(そしてあの世を支配している人々は、死ぬことが悪いことだとは思っていないので、死が悲しいことと思っている人間には合点が行かないことも、たまにはすると言われます。)
 もちろん現世の実人生においても、どの分野であっても輝いてみえ、そしてその輝きが続く人は、普通より努力しているし、夢を明確に描いているし、自分がここまで来られたのは人々の助けがあってこそだ、と常に感謝を忘れない人、輝くための自分磨きを忘れない人です。やっただけのことが表に現れている人です。やらない人は、やらないだけのことしかありません、たいていは。
 今までの、そしてこの先の人類の歴史において、一人一人にこの法則が適用され続けているというのは、なんとも驚異ではありませんか。
 一人一人に各々に合った学びの場を提供し、きらめく朝日や優しいそよ風、そして自らの子である人間たちに創りださせた、数々の美しいものごとで励ましてくださる神様。狂い無く全ての法則を適用させていく不滅のエネルギーと言っても、冷酷非常な機械的存在ではあり得ないと思うのです。
 そう、神様は「愛」のかたまり、愛そのものなのです。ベタベタした過保護な愛ではないので、それがその人の、あるいはその人を含む魂全体の成長に役立つと判断した時は、どんなに泣き喚いて助けを乞おうと手をさしのべてはくれませんけれど、また悪いことをした人にはそれ相応の手痛いしつけも与えますけれど、必要な時の助けは必ずもたらしてくれるのです。厳格な親のような、深い本物の掛け値なしの「大いなる愛」こそが神様の本質であり、その「愛」が、私たちの中に分け与えられて生かされているのです。
 全てを知っている大いなる愛が、私たちの中にあるのです。幸せになりたければ、自分の内なる神様、愛につながるのが最良の方法なのです。

永続する幸せにつながる
 幸せという状況は、人によってそれぞれ違うなあと、つくづく思います。私のような女から男への性転換者の中には、何とかして乳房、子宮、卵巣を取り去ってしまいたいと熱望する人がかなりいるものですが、一般的な女性は、そのような手術をすると考えただけで、震え上がってしまうと思います。私は夜寝る前に本を読むことが最上の悦びで、読み始める前に嬉しさのあまり床を転げまわってしまうことすらありますが(ヘンでしょうか・・・・・・)、「そんなことのどこがそんなに嬉しいの?」と感じる人は大勢いるでしょう。
 ですから「これが幸せだ!」という万人向け定義づけは不可能かもしれません。これをお読みのあなたが「〜だったら幸せだろうなあ」ということがあるとしたら、じっくり想像してみてください。「〜」を手に入れて幸せを感じたとしても、その気分はどのくらい続くでしょうか? 三日? 三週間? 三年? ――そのあとは、では、不幸せに戻ってしまうのでしょうか。そんな儚い幸せ、「〜だったらなれる」といった条件付きの幸せではなく、「いついかなる時でも不変の永続する幸せ」を手にしたいと思いませんか。
 それこそ、内なる神様(魂、愛と呼んでも構いません。しばらくは誰からも抵抗が少ないであろう“魂”を多く使いましょう)とつながることで、得られるものなのです。
 ここでようやく、そのためのパスワードをゲットする話に戻りましょう。
 まずは、初級編と言いますか、基礎固めをします、土台をしっかりさせておかないと、先行き不安定になってしまいかねませんので・・・・・・(かくいう私も自分の土台がしっかりしているかというと甚だ疑わしいような気がするのですが、少なくともこれから書くことは長年実行しており、効果がないとは思えないところまできておりますので、お勧めする次第です)。
「自分の内につながる」というフレーズから、そんなことを考えてもみなかった人々は、「なに言ってんの? 私は私。今、『なに言ってんの?』と思ったのが私。・・・・・・ってことは、もう自分とツーカーになってるわけじゃん。バカバカし!」という感想しかもたないかもしれません。
 それは、「自分が頭で考えたこと」が「自分の全てである」という誤解をしているのです。自分の考えは、確かにその人格をもった人物の脳の活動の結果ではありますが、内に宿る魂と同調して「そのように思った」とすると、それは神様の意志ということにならねばならず、そうしますと全ての人間の考えは神様の考えたことになりますから、この世の中がこんなに悪くなるわけがありません。この世全体は愛に溢れていますか? 残念ながら、いいえ、です。つまりそれぞれの人間の考えというのはそれこそ自分勝手なもの、人格が勝手に使った頭から出てきたもので、自分の内なる魂とつながっているとは言えないのです。 
 精神世界についてかじったことのある人は、「なるほど、内なる魂ね。瞑想中に何となく、これがそうかな、魂との一体感ってヤツかな、って感じることはあるけどね」と思ったりするかもしれません。
 瞑想や坐禅は確かに効果的です。日常的な思考活動をピタリと鎮めるだけで、「おっ、何だこの感覚」と思うものですから(そんなふうに思い始めた途端、思考活動は再開されてしまったわけですが)、その心の静寂を一定時間保っているうちに、今までいた所ではない所にいる、自分の内に向かっている、という状態に達することも、往々にしてあるのです。ただその心の静けさも、瞑想をやめた途端に消え去ってしまうようでは、感じないよりはかなりマシとは言え、内なる魂に「触った」程度かもしれません。その心の状態で日々を暮らせるようになった時、完全な幸せ状態になったと言えるのでしょう。実際には、そうなるともう自分が幸せかどうかなんてことはどうでもよくなってしまうのですが。ただそれは少し高望みなので、ここはまず初級編から行かせていただこうと思います。

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