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zoom RSS 幸せになるその方法8

<<   作成日時 : 2008/09/03 16:38   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

「でも私はどう考えても、今まで何もそんなに夢中になったことないよ。ドラッグやセックスは別だけど」と言う人もいるかもしれません。けれども「やっただけのことが返ってくる」のですから、そういった刹那的な没我には刹那的な幸せ、たいていはそれをしている間だけの快楽しか返ってこないものです。
「でもさー、仕事はかったるいし、本なんてつまんないしー。なにも趣味とかないし、没頭なんてできるもんねーよー。ボーッとしていりゃいいならラクだけど、それだけで過ごすなんてのも違う気がするし、そのうち何か考えちゃうしさ」と言う人も、もしかして大勢いるかもしれません。
 そこで諸本に書かれている色々な方法の中で、グータラな私が「これだ!」と思ったものに、自分なりの調味料をふりかけて紹介してみましょう。
 何かに夢中になる方法ではなしに没我の状態になるためには、まず心を静めなくてはなりません。思考を止めるのです。頭の中に浮かんでは消える雑念、苦い思い出、人に対する怒り、憎しみ、成功者へのうらやみ、今おかれている状況に対する不満、将来への不安などなど、多くは後ろ向きな内容です。これらに加えて、たとえば電車の中などでの、「うわっ、あの前の席に座ってる人の服、ダッサ〜イ。何時代の人間よ?」といった批判的な心の声や益のない感想、そういったものもこの際捨てましょう。頭の中を真っ白にして、「ただ、今ここに在る」状態になってみてください。
★私が実践している最も簡単な方法は二つあります。その一つは、耳をすますことです。今私がここを書いているのは或る七月下旬の土曜日の夜中、もうすぐ日曜日になる時刻で、エアコン嫌いのため窓を開けています。つい数時間前までは、盆踊りの太鼓や歌声が風に乗って聞こえてきていましたが、今は通りを走る車の音しか聞こえません。それも時々、信号で途切れてフッと沈黙が訪れます・・・・・・。
あなたには今何が聞こえますか・・・・・・?
耳に入る全ての音を、ただ聴いてください。各々の音に対して「これは何の音だな」という感想は持たず、ただ聴いてください。
――聴いている間、不幸でしたか?
それはあり得ません。全身を耳にしている間は、他のことを考えることができないからです。逆に何かを考えていたとしたら、耳をすましていたことになりません。
耳をすましてシーンとした心になり、他に何も考えられなくなっている時、「内なる魂につながっている」感覚に最も近いのだと私は思います。私は今でもこの状態を数分と保てませんが、もしも常にこの状態で生きられたら、きっと内なる魂と心の声でやりとりすることができるようになるのかもしれません。
私は本当に気が散りやすく、立ち上がって次の部屋に入って、「何しに来たんだっけ?」というような場面が、本当によくあります。数秒の間にたくさんのことを考えてしまうのです、たいていはくだらないことを。ですから白状しますと、あまりにも頭の中がゴチャついて、耳をすますことすらできなくなることがあるのです。
★そんな時私は、周りにある物や自分の身体、特に手、そして服などに触ります。目をつぶると、ずっとやり易いかもしれません。「ツルツルしてるな」「熱い。熱があるかも」などと心の中で感想をのべることなく、ただ触ってその感触に神経を集中するのです。人によりますが、てっとり早く無心になるには、こちらのほうが向いています。しかし「たとえ継続時間が短くても、より深い静けさ」を求める場合は、耳すましの方が効果的かと思われます。
「だけどさー、いつでも耳をすましたり何かに触ってたりしたら、仕事にも暮らしにもなんねーじゃんかよー」と思う人もいるだろうと思います。
 その通りです。一生を耳をすますだけで終えたりしたら、不幸にはなり得ないとしても、もったいないことこの上なしです。
 頭を真っ白にしていられない時というのは、勉強中、仕事中、人と話をしている時など、一日の大部分を占めていると思いますが、そういった時間以外の日常の動作をしている際に、何も考えずにいられるように訓練するための入り口が、この「耳すまし」なのです。しばらく訓練を続けると特に耳をすまさなくとも、思考をピタリと止めることができるようになります。服を着替える時、入浴中、歩行中、車中、ベッドに入ってから寝つくまで。いつもは様々なくだらないことや心配で一杯にしている頭を、こういった間だけでも真っ白にするだけで、不思議な平安が心に広がります。何かの長い列の中で待っている時も、「耳すましから入る平安」を実行すると、イライラすることもなくなりますし、ふだん「平安に入るため」になかなかまとまった時間がとれない人には、そういった待ち時間が嬉しいものになったりします。
 最初のうちは私も、耳をすますと同時に呼吸まで止めてしまうことが常で、マスターする前にあの世に行ってしまうのではと心配したものでしたが、しばらく練習するうちに、全く何も考えずに路上を歩けるようになりました。
 それはちょっと聞くと夢遊病のごとくさまよっているかのように響くので、危険ではないかと思われがちですが、思考をしていないというだけで、感覚はかなり鋭敏になっています。おそらく、犬や猫といった動物の感覚に近いかもしれません。動物たちはいつも、思考することをしなくても周囲に十分に気を配っています。そして「あの時ああすればよかったのだ」と悔やむ猫や、「将来もご主人さまとうまくやっていけるだろうか」と不安にかられている犬がいないように、私たちも「今ここ」に心を向けていれば、思いわずらいが消えるのです。それだけではなく人間としての特質をもちろん備えている私たちは、言葉として「美しい」「さわやかだ」と思い浮かべなくとも、街路樹の緑やその間を渡るそよ風に、動物たちにはおそらく欠けているであろう感覚的な悦びを抱くこともできるのです。
 そうは言っても、無心になるために息をつまらせていた頃、私はとても「頭がもったいない」ような気がしていました。ひっきりなしに何かを考えていなければ、頭脳を持っている甲斐がないように思えて仕方がなかったのです。わざわざ動物並みにするなんて少し馬鹿馬鹿しいかも、とまで思いました。
 けれどもたいていの人がそうだと思うのですが、仕事のことや将来の適切なプランといった建設的な事柄以外には、考えることの大半は、過去の失敗を心の中に再現して身もだえしたり、実際にそうなったわけでもないのに悪いほうへと将来のヴィジョンを作り上げたり、ありとあらゆる心配をしてみたり、そんなことばかりではないでしょうか。そんなものは全てシャットアウトして、一秒ずつ我を忘れて無心に生きた方が、やはり正解かもしれないと、やがて思うようになりました。
 そんな時期のある日、朝刊を読みながら口いっぱいにパンを詰め込んだ私は、本当に突然ハッと我に返って、ボロボロと泣いてしまったのです。味わいもせず、豊かな食事ができることに一秒も感謝せず、それが当然とばかりに機械的にむさぼりくらっている自分が、急に恥ずかしく申し訳なくなったのです。「こんなことを書くと、『いい子ちゃんぶってら』と思われるかもしれないなァ」と考えながら書いている今でさえも、あの時の気持ちがよみがえって泣けてきます。毎食前に格好だけは、「ありがとうございます、いただきます」と手を合わせることを何十年もしていますが、心が伴っていなかったのです。
 それからも私はどうしても時間がないので、家での朝食は新聞を読みながらとることは改めていませんが、前よりもっと感謝をもって味わって食べていますし、一人で店に入って食べる時は、以前はとにかく何かを「読みながら」だったのですが、このことがあってからは何も読まずに、食事に没頭するようになりました。頭を真っ白にして味わうのです。「食事する行為そのもの」や「味」を楽しむということは、私はそれまで考えてみたこともなかったのですけれども、四十近くになったその日々に(それ以外の感謝は色々と感じつつ、その感謝を表しつつ生きてきたのですが)、初めて食への感謝が突然熱くこみあげてきて、できる限り味覚そのものになってその時の糧をいただく、という悦びに目覚めたのでした。
 そしてこのあたりから、ただの「耳すましによる心静め」が「内なる魂につながること」につながるのだ、と実感できることが度々ありました。
 私の住んでいるマンションはとても狭くて古いのですけれど、角部屋で、十六畳はあろうかと思われる広いテラスがあることが、大のお気に入りです。そして寒くない季節の晴れた晩は、毎日のようにそこへ出て五分ほど空を眺めるのが楽しい習慣になっています。
 食への感謝に目覚めた日々のある晩も、私はテラスで空を眺め、「心静め」をしていました。いつもと同じ状況でした。ですがどうも身体の内側がザワザワするのです。そしてしばらく目を閉じ、おもむろに開いてみると、頭上に広がっている星空が、とてつもなく懐かしい気がしたのです。空を見る私と見られている空の区別が、一瞬ですがわからなくなりました。「一つだ! 一つだ!」と思いました。とても気分が昂揚して何回も飛び跳ねました。それを見ていた人がいたら、どんなにかヘンな奴だと思ったことでしょう。
 まあこのようなことは、そう頻繁にあるわけではありません。あったとしたらすばらしいことなのですが、私はまだそんなに修行ができていません。この時の心持で常に生きられるよう、これからも努力したいと思っています。
 
 いずれにしろ、これが私が考える、幸せになるためのハウツー初級編です。とにかく毎日一生懸命、やれるだけのことはやって「一秒ずつ生きる」。そのための「耳すまし」や、物や手へのお触りによる「心静め/没我/無心」というわけです。どちらかというと、特別な大きい望みがあるわけではない、毎日平穏に暮らせればそれでいい人に向いています。大きな喜びや幸運が必ずしも舞い込んでくるといったものでもなく、抱えている悩みが自然と解決するわけではありませんが、善い望みを抱けば叶い方が速かったり(後述する守護霊様の働きにもよります)、抱えている悩みそのものに目を向ける時間がとれないため、悩んでいる自覚が薄れたりして、毎日の心に、より平安がもたらされることは確実です。そうこうしているうちに「内なる神様/愛/魂」につながった自覚を持つ回数が増えると、もっと嬉しい楽しい心持になるので、前よりずっと明るくなります。
「あの人イヤだな。嫌いだな」と思っている人からは自分も嫌われたり、ものすごく怒りながら道を歩いていると、不良にからまれてケンカになったり、恐い恐いと思っている犬から吠えられたりしたことはないですか。人の思念はエネルギー波なので、自分ではわからなくとも必ず周囲に影響を及ぼし、同じような種類のエネルギーをひきつけてしまうのです。ささやかな方法でも実行して心を平らかにして明るさを増大させると、同じようなエネルギーの人たちをひきよせ、生活も少しずつ楽しくなっていくものです。
 読むだけで終わりにせず実行してみたら、一年もしないうちにかなり幸せ度がアップする事実は、少なくとも私の身の上には起こったことだったのです(一年近く続ける根気は必要だと思われます。なんでもすぐ結果が出てくれると楽なのですがね)。
 そして今では私は、内につながる感覚(もしかして自己満足にすぎないとしても)を手放さずに生きようとしており、やはり一般的な生活の苦労も、性転換した人間だけに伴う悲哀も色々ありますけれど、「だからなんだっつーの?」と言えるくらい、基礎を「幸せ」で固めることができました。いついかなる状況でも、決してこの幸せは壊れません。というのも、自分で自分が幸せだと思っている限り、誰も、何もその人を不幸にすることができないからです。

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