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<<   作成日時 : 2008/09/03 16:06   >>

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人も神となる
 もっと柔らかいアプローチもあります。三十年以上もかけて『古事記』の注釈書である『古事記伝』を完成させた、江戸時代の国学者本居宣長のその『古事記伝』第三巻には、「さておよそ迦微(神のこと。この文の中で使われている「神」は、偏在する気や霊というのもの中でも神格をもって表される、いわゆる神様のことで、ここで全体に説明される「カミ」の一部のことであると思われます――虎井注)とは、古御典等に見えたる天地の諸の神たちを始めて、それを祀れる社にまします御霊をも申し、また人はさらにもいはず、鳥獣本草のたぐひ海山など、そのほか何にまれ、尋常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物を迦微とは云ふなり」という「神」観が出ておりますが、そうしますと普通ではない優れた徳があっておそれ多いもの、ということになります。仏様もイエス様もOKなのです。フレキシブルですねー。
 そればかりではありません。「人はさらにもいはず」ですから、人間もOKなのです(仏陀もイエスも人間ではありましたが、ここでは彼らのような宗教の開祖以外の一般人を指すと思ってください)。
 その昔の代表格が、菅原道真でした。平安中期の、文芸の才に溢れた学者にして政治家で右大臣になりましたが、ライバルに讒言され、大宰府の長官という地位に落とされ、無念のうちに死んだのです。
 しかしその後から都は数々の災厄にみまわれたため、「こは道真の祟りではないか」と恐れた朝廷が道真の霊を祀り、北野天満宮を定めたのでした。天神様とは道真公の御霊のことです。
 他にも徳川家康、徳川光圀、近いところでは乃木希典、東郷平八郎なども神社に祀られています。ただこういった人々は祟りを恐れられたわけではなく、国家に多大な貢献があったと考えられ、「尋常ならずすぐれたる徳のあ」ったと考えられたために神格化されたのです。
 とは言えそもそも全ての人は、神社に祀られたりせずとも元々神性を宿しているのだ、ということはT章に書いた通りです。

神は外にいまし内にいまし
 神道においては大自然そのものとも言える神様と、人を含む生き物全ては遠く離れた存在ではなく、共生関係にあると先述しましたが、「全ての人間は神の分霊(ワケミタマ)である」という考えも、神道では一般的なものです。神様である大自然から様々な恵みをいただいて祖先から子孫へと続いていく私たち、つまり神様そのものを糧として生きる私たちだから、ということももちろんですが、文字通り元々の気、命の始まりは神様から出たもので、生き物全てはその気を分けてもらってこの世にあるから、という真理なのです。この理は、思うにほとんどの国のあらゆる宗教にも共通しているものです。
 神道にたずさわる人々が、よく禊(ミソギ)という、水を浴びて身を清める行いをしたり、あるいは私たちも神社でお祓いをしてもらったりしますけれども、「神の分霊を宿しているこの身体を、清浄なものにしておかなければ申し訳ない」という考えを根底に据えて、実行するべきものなのです。常に清らかな身体のままでいられないのは、物理的にももちろん垢が付きますし、俗世で我を張って生きていくうちに、魂に様々な罪・穢れ(ツミ・ケガレ)がくっついてしまうためです。
 ここでいう罪・穢とは、犯罪や汚い事物ということではありません。もちろんそれらも一部に含まれますが、その道の大家が的確に表して下さっている箇所を、少し長くなりますが引用すると、こういうことです。
「『つみ』というのは体を『包む身』という意味です・・・・すばらしい神さまからの体を包んで隠してしまうということです。『けがれ』というのは、穢という字を書いていますが、汚いというのではなくて『気枯れ』です。我々を生かしてくれる神さまの気を枯らしてしまうものが、『けがれ』なんです」
「この罪・穢はすべて我欲であるから、その我欲を祓い除いたとき、神の姿を見ることができるのです。つまり神は外に求めるのではなくて、心の中の我欲をなくしたとき、はじめて神の世界が現れてくるのです」
(葉室頼昭『神道と日本人』春秋社) 
このように我欲、心、魂のケガレを祓うことで自分の中の神性を表し、この世を覆う神様と響き合うことが、神道において目指されている姿と言ってよいのではと思います。
T章において力説させていただいた心静めは、やはり自分の内なる神性とつながることを目的にしておりましたし、自然の中にいることもとても効果的である、とも書きましたように、私たちのルーツである方々から今に、そして未来に至るまで続いていく「神の道」というのは、現在盛んに読まれているスビリチュアル本と変わらぬことを、途切れなく教え続けていてくれるのでした。
中今にある私たちが、元々の日本人が持っていた清らかさと明るさをDNAから呼び覚まして、大自然(神)の内に生きる時には、心底からの幸いを感じることができるのでしょう。その時もしかすると、何十億年という歳月の記憶が、自分の内にも存在することを感じ取れるかもわかりませんね。

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