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<<   作成日時 : 2008/09/03 14:48   >>

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自他不二
 心を静めると、少なくともその間だけは自我や思いが消え、自我や思いがなくなったところに内から湧き上がる仏性が充満します。すると突然、内なる仏性と、外界を満たしている仏性が溶け合って、自分と外界が別のものである、という感覚が脱落してくる瞬間があります。
 自分と大自然は一つ、大宇宙は一つ。宇宙の中に自分があり、自分の中に宇宙がある。
 生きとし生けるものは、みな一つである。
 T章でも神道でも同じ意味を書きました。一言でいうと、「ワンネス」です。
 そのことを深く理解した釈尊は、元々カースト制度に批判的だったこともあり、全ての人間は等しく仏性を持っているという点で「平等」であるとし、生涯ずっとその路線を外れませんでした。
(ただし女性が男性と同等であるという観点は、仏教団体には不十分でしたし、それは現在にも残る問題です。興味のある方には、女性と仏教東海・関東ネットワーク編『ジェンダーイコールな仏教をめざして』朱鷺書房などがよい参考書です。法華経の竜女伝説をはじめ、ところどころに「女はそのままでは障りがあって成仏できないが、男に変身してのちに成仏する」「あるいは未来世で男になっとて成仏する」とする変成男子の逸話にもうかがえます。女性であることが修行や悟りには支障なし、とする文章も多々ありますが、時代や文化の影響もあって男性優位の感はまぬがれません。もちろんこの傾向は、神道やキリスト教、その他の信仰にも明白に存在します。)
 とは言え私は今回が縁で色々勉強を始めるまで、先述の「空」の時の誤解のように、釈尊のもう一つの言動に不満を抱いていました。例の「天上天下唯我独尊」というやつです。
「天上天下で自分だけが尊いなんて、確かに尊いお方ではございますが、チト尊大なのではないでしょうか? 傲慢な感じがしちゃうなあ」と思っていたのです。しかも釈尊はこの言葉を、生れ落ちた直後に七歩歩いて、天と地を指差して唱えたというのです。
 この時点ですでに創り話だなと思うのですが、このような話が創られたということは、この言葉にかなりの意味があるのでしょう。
 そうです、そしてその意味は、もちろん私の先の誤解とは異なったものだったのです。
 この句に言う「我」とは、「自分」ではなく、「大宇宙と一つであるところの自分、宇宙を内包する自分」のことだったのです。大宇宙と一つであるということは、自分も、あなたも、他の人たちもということで、「一人一人が同じだけ尊いのだ」と言うことだったのです。
 この伝説を信じれば、釈尊は出生直後からきわめて平等主義だったということになります。大人になってからの実像は、もう言わずもがなです。
 一人一人の尊い者たちが一つの宇宙を築いている――全てが「空」ならば宇宙もまた空であり、一人一人が一つ一つの縁であり、その一人一人がバランスを持ちつつ宇宙を構成している――そうすると、先述の毛糸玉の例のように、何か一つの縁が抜ければ全てが変わってしまうでしょう。T章の中で記した、大きな一つの魂を成しているうちの一人の魂が向上すれば、全体の質もあがるのと同じように、たった一人の人間が向上するか下降するかということは、大宇宙にとっても大きな事柄なのです。ずっと取れなかった足の小指に刺さったトゲが抜けた時、その人全体が喜ぶのと同じことです。
 これがワンネスです。
 自分と他のものは、区別できるが切り離せない。「自他不二」と言われます。言い方は違えど、同じことです。


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