あなたはもう幸せなのに/守護霊様とおしゃべり!

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<<   作成日時 : 2008/09/03 14:16   >>

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神様になりたいですが、なにか?
 しかしそれで傲慢になるかというと、決してそんなことはありません。神秘を感じる度合いが増せば増すほど、ますます謙虚になる人のほうが多いです。同時に、「自分のような者がこのような不思議を甘受できるのは、この世の常ならぬ幸せである。だからもっと周囲の人に優しくして、この幸せを、形は違えど分けてあげなくては。みんなで幸せを分かち合うのだ」と決心し、周囲に対して、より明るく親切にふるまう人がほとんどなのです。
 これが「神様になりたい」態度でしょうか。――ええ、きっとそうかもしれません! 神様でしたら、明るくて優しくて親切で、人を幸せにしたいはずですから。「神様」になりたい、というのが変な感じがしましたら、「愛」になりたい、と言いかえると、もっとずっとしっくりくることでしょう。
 でも同じことですね、「神様は愛」なのですから。

おそらくイエス様も同意見
 そして信徒一人一人が「愛」になることこそ、イエス様が本当に望まれたことだと思います。いえ、信徒だけではありません。イエス様は、別に宗教団体を作ろうなどと考えておられませんでした。何百年生きておられても、そんな考えはもたなかったでしょう。区切りをつける、区別をつける、そういったことほど神様が、愛が嫌うものはないはずだからです。肌の色も性別も愛する対象も関係なく、金持ちも貧乏人もどんな職業の人も等しく、自分の中のせいいっぱいの愛を咲かせている。そんな世界こそイエスさまにとっての、そして私たちにとっての天国なのです。たとえば次のような意見は大賛成です。
「イエス自身は、自分は神の子であると言っていても、唯一自分だけが、と言ったとは思えない。実際、『天の父の子である』ことを、各人が己の実践を通して証明することを、イエスは人々に求めていたことが伝えられているのだから。したがって、みんなも自分のように神の子になれるし、いなむしろ、ならなければならない、と言いたかったと考えるべきだろう」(八木雄二『イエスと親鸞』講談社選書メチエ)
 そしてもちろん聖書の中にも――後世の人々をキリスト教会に惹きつけておくべく、ものすごい編集がなされてきたと言われる、この世界の名著の中にも、そのような言葉が散りばめられています。
「わたしは言う、『あなたがたは神だ、あなたがたは皆いと高き者の子だ』(詩篇八二――六)
「わたしと父はひとつである」(ヨハネによる福音書一〇――三〇)
「私の兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」(ヨハネによる福音書二〇――一七)
 特にラストのイエス様の言葉に顕著ですが、イエス様にしてみれば、人間以外の何者でもない弟子たちは「兄弟」であり、決して自分一人が特別だなどとは思っていないようですし、ご自分の父つまり神様は、「私たち」の父であり神様であることは、元より承知のうえだったようです。
「何を言うか! 違うぞ! ○○神学ではこのように解釈されているのだ云々」と反論される専門家はおられるかもしれませんが、虎井的に判断するにイエス様は、「私たちがご自分同様に神の子になることに異論はない。それは人間の子が人間の成人になるように、神様の子が神様になることに異存はないということでもある」と思います。
 それは結局私たちの内がキリストで満たされ、愛の名において一つになることだからです。
 

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